世界へインタビュー interview02
世界へ通じる感性や
物語性を大切に
心に届く作品を
つくりつづける
コンテンツ本部 コンテンツ部
映画監督・
モノガタリラボ主宰
2003年 新卒入社
小泉 徳宏
世界へインタビュー interview02
世界へ通じる感性や
物語性を大切に
心に届く作品を
つくりつづける
コンテンツ本部 コンテンツ部
映画監督・モノガタリラボ主宰
2003年 新卒入社
小泉 徳宏
幼少期を海外で過ごし、大学進学後、自主映画制作に携わる。2003年、株式会社ロボット入社。『タイヨウのうた』(2006年/松竹)で映画監督デビュー後、『ガチ☆ボーイ』(2008年/東宝)、『FLOWERS -フラワーズ-』(2010年/東宝)、『カノジョは嘘を愛しすぎてる』(2013年/東宝)など、次々と監督としての手腕をふるい、2016年からは、人気コミックを原作にした2部作『ちはやふる -上の句-』『ちはやふる -下の句-』を制作。第8回TAMA映画賞・最優秀新進映画監督賞を受賞。その後完結編として『ちはやふる -結び-』(2018年/東宝)の監督を務めた。映画の世界にとどまらず、CM、テレビドラマ、ミュージックビデオなどさまざまな映像制作に携わるほか、社内外の枠を超えたシナリオ制作チーム『モノガタリラボ』も主宰する。
映画監督としての道筋
数々の映画に携わっていらっしゃる
小泉監督ですが、
映画監督を目指されたきっかけなどを
教えていただけますか?
高校生の時の国語の授業で、自分たちで商品を想定して30〜40秒くらいのCMを制作したのが、映像制作に触れた最初の機会でした。その後、夏目漱石の『こころ』(岩波書店)を映像化するという課題があり、監督や脚本、俳優などの役割をグループで手分けして作ったのが、この世界にさらに興味を持つきっかけとなりました。その頃はまだデジタル編集がなくて……。ビデオデッキとビデオデッキを繋げてダビングを繰り返しながら、撮影した素材を並べていくわけですが、その「編集」という作業に強く興味を持ったんです。例えば、同一のシーンでも流れる音楽によって、与える印象がまるで異なってくるのは、とても興味深かったですね。
その後さらに、大学2年の夏休みに篠原哲雄監督による映画のワークショップに参加してから、映画監督を職業として意識するようになりました。そこで助監督という道を経て初めて映画監督への道が開けるということを知ったのですが、助監督にも序列があり見習いから徐々にステップアップが必要で、それでもなお監督になれる保証はどこにもないというような厳しい世界であることも知りました。大学へ進学し就職活動の時期になって「助監督をやってみないか」というお誘いも受ける一方で、「卒業後すぐ、いわゆる新卒での就職活動は人生に一度しか経験できないから、それをやってからでも遅くない」とアドバイスをいただいていました。当時、映画監督になるには、助監督で経験を積む方法以外にも、映画制作会社に就職し映画監督としての道を歩む方法、またはTVやCMなどの映像クリエイターやカメラマン、芸人などから映画制作にチャレンジするという方法があったのですが、映画会社も「監督」枠として募集しているわけではありませんし……自分にとってどういう道を進んでいけば映画監督になれるのだろうと模索していました。
ROBOTに入社し、映画監督として
デビューするまでは、どのような道筋を
たどられたのでしょうか?
運良く、ROBOTで広告のプロダクションアシスタントとして内定を頂けましたが、一方その頃別のCM制作会社では、ディレクター職での内定を頂けたので、果たしてどちらが映画監督に近いかと迷った挙句ディレクター職を選ぶことに決め、面接時によくしてくださった、ROBOT創業者・阿部秀司さんの目の前で、お断りの思いを手紙にしたため読み上げたんです。怒られるんだろうな……なんていう思いでいたら、逆に僕の話を真摯に受け止め聞いてくださって。今後の進路について一緒に考えてくださったことがきっかけとなって、この人が社長ならという思いで、まずはROBOTから始めてみようという気持ちになりました。
当初は広告制作部としての採用だったのですが、気がついたら入社前に映画部へ配属が変更になりました。最初の仕事は『踊る大捜査線 THE MOVIE 2 レインボーブリッジを封鎖せよ!』(2003年/東宝)の撮影期間中で、エキストラの誘導などのお手伝いや特典映像の編集などをしました。当時のROBOTには映画監督が2名所属していましたが、新人から映画監督を指導育成する機能があったわけではないんです。それからは映画やミュージックビデオの演出助手として現場経験を積み、24歳で『タイヨウのうた』でデビューさせていただきました。
ストーリーの主軸を見極め
最善の判断を積み重ねる
映画監督は、一つの作品を作る上での
総指揮官の役割だと思いますが、
例えば原作からどの部分を
クローズアップして伝えていくかなど、
さまざまな取捨選択のなかで、
どのような基準で判断を
下されているのでしょうか?
その取捨選択の基準は、監督によっても様々かとは思いますが、物語には主軸があり、そこに枝葉のように伏線となるストーリーが付いていると僕は感じています。その見えづらくなっている主軸を探し当てるために、時に原作者の話を聞いて執筆の背景を伺ったり、原作者がどういう方なのかを探り当てていくことも必要になります。原作の再現性よりも、伝えたい主軸を見極めることが大切で、主軸を伝えるためには、原作に出てこないキャラクターが登場したり、時には重要と思えるキャラクターの登場を見直す判断をせざるをえなかったり。そうした取捨選択をする一方で、監督が作品の全てをコントロールできるわけではないとも感じています。映画監督は、自分の思い描いたイメージをそのまま映像化している……と言えたらかっこいいのかもしれませんが、信頼できる制作チームとイメージを共有し、チームに預けるという部分もあるんです。ただ、それぞれのシーンにおいて、それがどんな役割を果たし、最低限表現すべきもの、最低限諦めてもよいもの…など、常に状況が変わる中で最善を積み重ねていくということだと思っています。
そんな中、映画作りに携わる
一番の魅力とはなんでしょうか?
映画の場合、良くも悪くもそれを観る人や世の中に対して強い影響力があると思います。例えば『タイヨウのうた』では主人公が光にあたれないXP(色素性乾皮症)という病気を患っていたのですが、公開当時は難病に指定されていなかったんですね。映画を通して認知度が高まることによって、世の中の動きが変わることがある。そういった社会的な意義のある影響力以外でも、『ちはやふる』が公開されてから、百人一首の人気や袴の人気が高まったり……。映画を作ることによって、自分自身も新たな世界観に触れ、なぜそのテーマを映画化すべきなのかを考察し、作品として落とし込んでいくのは興味深いことですし、作品を観る人にとっても、映画が自分や世の中を見つめ直すきっかけになるというのは、とても魅力的なことだと思っています。
小泉さんは、映画監督としての傍ら、
シナリオ制作チーム「モノガタリラボ」も
主宰されていますね。
ちょうど『ちはやふる』の映画制作に携わっていた時に、自分一人で脚本を書くことに限界を感じていたんです。自分の感覚で書いたものが、客観的に見てちゃんと面白いものなのかどうかを見極めることが難しいんです。「3人よれば文殊の知恵」という言葉通り、だれかと物語を共有することで、お互いにリアルな感想が聞けると同時に、目から鱗な発想も生まれるだろうと思い、サロン的な要素を持つチームとして「モノガタリラボ」を立ち上げました。当時ハリウッドでは「ライターズ・ルーム」という、連続ドラマなどの脚本を共同執筆していく仕組みが立ち上がっていて、そういった要素も取り入れられたらと思い、2012年に4名で立ち上げました。これは会社の枠を超えた課外活動のようなものでもあるのですが、脚本家を目指したいけれど経験がない…というような方も参加して、お互いに切磋琢磨しながらスキルアップするほか、ノウハウを共有したり、デビューを目指す場としても機能しています。現在はROBOT社内のスタッフも含め、フリーの助監督や、アニメーション作家など26名の方が参加しています。映画やドラマの脚本にとどまらず、小説や漫画の原作開発やラジオドラマなど、「物語」を主軸に様々な媒体に展開するシナリオ制作チームとして活動しています。
シナリオ制作や映画監督などに共通して、
世界を見据えて発信する上で、
大切にしたい思いや信念などはありますか?
海外の映画祭にも足を運びましたし、海外で長く住んだこともありますが、日本人が持つアイデンティティって、世界的に見るととても特殊だと思うんです。例えば「輪廻転生」の考え方とか。生きている人が抱いている死後の世界に関する感性は独特ですよね。4月の数週間の間しか咲かない桜を見て、儚い物、朽ちていくものに美しさを感じる感性もそうですし。自分たちでは気づかないけれど、一歩世界へ足を踏み出した時に、その感性が世界で大きく評価される可能性はとても高いと感じています。映画の予算規模でいえば、ハリウッドとは比べ物にならないかもしれない。それでも日本人が持つ感性や物語性は世界にも通じるのではないかと。だからこそ、僕らが持つアイデンティティ、そしてその根本には何があるのかを見据えた上で、発信していきたいなと感じています。
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